24年9月 日記
月報3月目になりました。意外と続いてる
四度寝から食器とクラゲがとどいた void_nemoが揃うまであとウミウシだけ!大きさは揃えたいけどウミウシのいい感じの大きさでキャラクターみたいにデフォルメされていないタイプのぬいぐるみが無い;;
お絵かき友達の鯖で昔からの友達とおしゃべりした
納品を2つ同時にした。
インターネットでTwitterをはじめた。
とろサーの合作やってみた。
疲れた。
無知と繊細だけが蔓延っている。私はずっと知識が入っていてほしいし、いつでも殺されていい。
全然関係ないけど、私は言葉を(私自身の発言も、人の発言も)文字通りに捉えた上で文脈に乗っ取って処理をする。言葉が安易であることはあっても、それについて無知ではない。
まあ、ずいぶん遠くまで来てしまったし、一度おうちに帰るのもいいのかもしれないね。
忘れてたんだけど鬱病だった。ここ数ヶ月ぐらい面白いことがいくつかあって忘れていた。忘れていたわけではなくて、忘れてたら都合が良かったというだけなのだけど、ここまで人生をうまく回さないと鬱病が治らないのか、という絶望は棄却できたので良し。いいことがあっても鬱はある。ゆっくりベッドで休もう。
コラボ配信をした。どういうこと?
https://www.youtube.com/live/dl3QS4AEe5A?si=-gE6dUlMZiW0dfft
朝までとろサーにいた。ちょっとお酒でよくないテンションだった。
Abletonで遊ぶ。
連日差別発言が回ってくるのでTwitter本当に終わりかもしれない。
私の友人は過半数というか7割が外国人、障害者、性的少数者、天才で構成されているので、差別に対して非常に直接的で対個人としての不快感を持つ(つまり差別発言を脳内で直に特定個人の友人への暴言として認識する)けど、差別をする側にいる特定個人を想起できない。
逆に言えば私の友達にレイシストがいないことで見えていない世界があるはず。
そういう友人をもたなかったとして、差別をせざるをえない感情を抱いてみる必要は確実にある。怒り周辺の感情が未熟な故に人が不快に思う要素の解像度が低い。
お前らはガ行しか言えない体の苦痛を知っているのだろうか
私は統計上も客観的に見ても人類の中で上位5%に入るぐらいに幸福であるはずなのにずっと辛い
そばを食べたが、ラーメンが食べたくなってUberを取った。少し食べてもうよくなって残した。あとで食べる。
何を食べても大して美味しさに嬉しさが紐つかない。美味しいと言ってみるが。
vrcでvjテストをした。ついでに宇宙博物館にもいった。
そういうツイートを見たせいかYoutubeでもそういうニュース(障害って大変なんですよ系ニュース)が回ってくるようになった
観ていて思うのは、私はかなりうまく行っているなということ。親が充分なことをしてくれたのと、ちょっとだけIQが高かったことと、あと運が良かったのが大きそう。
と思ったけど不登校と退学って相対的にはうまく行ってないかも まあインターネットの時代へのシフトと被っているから相関は一生わからなさそう。
親が良くしてくれたというのは確実にそうで、結果論ではありそうだけど、ちょうどいい量の社会的、金銭的援助があった。自分のデメリットを補えるだけの。
空の撮影をした。30分等速で回して素材にしていく。
お絵描きしました、あまりに下手になっててよくない。
無理になりました。全部おままごとの延長にしか見えません。もし本当に感情がしっかりと動いているんだったら、言葉ではなく激震か暴力にして私に振るってもらえませんか。
ベランダでタバコ吸いながら放心したり、坐禅一セットを短寸の香でやってみたり、海外日本オタクのvlogをみながら発音練習したりしている。半跏趺坐しかできなくなっててびっくり。
麻雀会🀄️🀄️
一時間半ぐらいセッティングで潰れた
ガッツリ負けた
サイゼに行った。お絵描き友達が増えた
おえかきした
ブラシを自作のものから有名な油画ブラシに変えたところ、めちゃくちゃ普通の質感に
まあ普通の質感で画力のカモフラージュできるなら一旦アリかも。。。うまくできたなーと思いながら練習したほうがいいので。
外 あまりに良い 内的なものを出力する意味でも全く別の世界に行きたいと言う意味でも共感しかない
というか、まあ、心の底から共感できる作品が長谷川白紙の曲のみだから無理やりこじつけているのだけど
関係ないけど、「バズりは共感が大事」論は、共感できる対象を共有する人数が偶然にも多数派である人々の独占であり、強めに反対している。(それのみになった世界では少数派は死ぬしかないため)
なので、異国情緒と題して、共感できないコンテンツに興味を強く持つし、結果的に楽しめるもの自体は沢山できたので他の人にもこの消費方法をお勧めしていきたい。逆ファッション消費とも言えそう。
さっき海外ホロライブファンのVlogみてたら長谷川白紙のアルバムが映ってたけど、そういう変な組み合わせの発見があるのも面白いです。
お金にも知名にも興味がない それよりもっとシンプルな何かが欲しい。もっと簡単で、抽象的で、非人間的で、普通に会話するぐらいの、面白みのない微小な何かがほしい。うんざりです。誰のせいとかではなく。自分のせいにするにはちょっと遠すぎるし。そんな物がない気もするから自然が敵で良いんだと思うけど。すり抜けるような感覚だけがあったところで、実際に見えないなら霊感でしかないし。私はただ嬉しくなりたいだけなんだ。嬉しくなりたいよ。忘れられないので慣らされるし、意外と消えないし、嬉しくなりたいだけです。嬉しさというのは、泥酔とか幻覚でもいいし、すごい成功とか、予定調和でも、札束でもいいんですけど、全部違ったんですよ。そういうのは幸せであって、嬉しさではなくて、嬉しさというのは、例えばエフェクトとエフェクトの組み合わせがドットを描いて楽しませてくれたことで、私はその延長線上にしかいないし、マクロにある構成とかには興味がないし、それが蔓延っているのも異世界みたいで楽しいですけど、ここでは私は家に帰れないんです。家というのは取り壊された実家のこともあるし、すぐに死んだ家族のこともあるけど、それ以上に、ずっと子供の頃のことばかり考えているし、子どもの頃の記憶には一切人間が居なくて、なのに小学校の壁の模様や床の剥がれ方だけはずっとあって、そういう小さいそれを覚えたり指で押したり紙を当てて鉛筆でこすったりするのが最も素晴らしいモノづくりだったのに、その後に宇宙とか地球とか岩石とかコンピューターやインターネットやコミュニティや人間を全部触ってみて、全部そういう床の剥がれのないミームみたいな完璧な部屋が用意されていたし、その部屋ではA4サイズの印刷紙にクレヨンでお母さんを描いてもっとも子供らしい絵を描いた人が校長室で賞状を得ることがすべてだったから、もし殺すならその賞の運営だと思うけど、これはただの比喩でやっぱりそれは自然であるから、まずは私自身が死ぬべきであるけど、かといって私の自殺はてんで死ぬ気のないただ痛みと入院だけのおままごとで、アホらしいなとなってからもはや薬もナイフもただの趣味になったし、なぜかみんなそれをミームにして、もうこの部屋では薬とナイフは記号に落とし込まれて無意味になったから、もうどうすることもできないので、今はもうただやりたいことをやりつつ薬とかタバコとか断食とかしてゆるやかに死ねるように調節しているけど、それもあまりに遅すぎて、20歳になってからもう何十年も経ったみたいなのに全然体がまともになってくれないし、バカなままだし、バカなのに天才扱いする人々が記号でない天才を殺すから天才が減っていくし、早く賞状ではなくて床の剥がれた木材を作りたくてどうしようもないんですそれが私のしたい共感です。「お前のしたいことすればいいよ」←死ね!!!!
https://scrapbox.io/files/66ed5988f4ec28001c0275ab.png
ほら観て 網戸をつかって望遠撮影をすると、上下左右の網に光が干渉して✦になる。
動画がでました。
あと合作もちょっとやった。30分程度で作ったけど。
https://www.youtube.com/watch?v=D5tGfNspDig&feature=youtu.be
hasaqui連載 第二回 日本の黎明期コンピュータアートを再考する
川野洋のコンピュータアートとそのプログラム観
本離れ、普通に映画離れも音響離れも進んでいて、単に消費に興味がなくなっただけなんじゃないかなと思う。かといって生産をするわけではなくて、じゃあ何かというと、何でもないんだと思う。私もなんでもないし。意外となんでもなさと死の恐怖だけで人類は回っていて、それが嫌な狂っている人が、文化を作ってきただけだ。
いやなんか、scpapboxってもしかして内省に強すぎる?人の目がないとどこまでも沈んでいける気がする。鍵をかけない裏垢とかをやるべきなのかもしれない。
映像すすめた!通話もした!
なんかでかい空間に連れて行かれて終電ギリギリで助かった。
映像しつつ、VRCのボカロイベントのVJをやった。フッテージを使い回すのがマナー的にどうなのかはきになるけど、たとえあったとして守るかというと…
ワンコーラス分の映像が終わったものが複数あり、あとは頑張れば2,3日で完成できるが、一旦確認を待つ必要やスケジュール的に優先する必要があり、そしてイベントが交互にくるので全然進捗を出せていない。早くやりたい。
遠いところに来てしまった。ここに私が?本当は私ではない別のベクトルにすごい人がここにいたのかもしれない。ほんの少し蝶が疲れていただけのことで、その上で誰によって誰から誰へ流れたのかハッキリ今ならわかる。本当にここに立ちたかった人はいるんだろうか。すこし羽ばたき方が違ったらここに立っていられるだけの誰かがいる。まだ私が起こした乱数調整が、再現できないと思っている。
おつ!